ホームページ開設のご挨拶
ホームページ開設のご挨拶
ホームページ開設のご挨拶
「おせきや」の角を入った細道、背景は桑川神社
(筆者左から3人目:1959年頃)
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ホームページ開設にあたって一言ご挨拶申し上げます。
日頃より桑川神社の維持管理にご理解、ご協力をいただいてます氏子の皆様方はじめ桑川町親和会、消防団、五月会等の団体の皆様方に厚く御礼申し上げます。
このたびホームページを開設した目的は二つあります。
一つ目は桑川神社が未来永劫存続するため、次代に残すものが欲しかったことであります。
二つ目は桑川神社並びに地域の歴史を知ることにより、皆様にとってより親しみやすい神社づくりをしてみようという思いがあったことであります。
私は昭和28年の生まれであり、当時桑川は半農半漁の世帯が大半で非常に貧しかったことを覚えています。いわゆる陸の孤島で同じ東京でありながら「今日は東京へ行く」ような表現をしていました。三角(さんかく)のバス停から錦糸町を経て日本橋あたりに出るのに丸半日ががりでした。テレビといえば近所に一軒きりしかなくいつも子供たちであふれていました。
電話もなく当時は近所の「おせきや」から大声で呼び出しがあったものです。
遊び場には事欠きませんでしたが、私たちの中心には常に桑川神社の境内があり野球や缶蹴り、ドッジボール等をしていました。
当時の神社の存在はかなりのウエイトで生活に入り込んでいました。
夏休みのラジオ体操、夏の移動図書館、神社の庭に蓆をしいた映画鑑賞、お宮参り(お赤飯がふるまわれた)、紙芝居、バクダン(コメを使ったポンポン菓子)などなど貧しかったけれど大変楽しい、心豊かな毎日だったように思います。
「おせきや」の角を入った細道、背景は桑川神社
(筆者左から3人目:1959年頃)
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時代は下り、昭和44年の東西線の開通、昭和60年の環状七号線の全線開通などこの地域を取り巻く環境は激変しました。
日本橋に出るのに葛西駅からたったの15分、大変便利になりましたが心のどこかに忘れ物をしたような気持になることがあります。
時間が早回しになり、忙しくなり、効率だけを求めるせわしなさ。
経済的には豊かになったかもしれないが、心の豊かさはいかがであろうか?
ふっとそのようにも思います。
「おらが村の鎮守」桑川神社は今日も変わらず私たちを見つめているような気がします。
このホームページがきっかけとなり、桑川神社が次代をつなぐ子供たちに継承され地域の皆様のよりどころとなれば嬉しい限りです。
総代長 笈川晴美
2021年6月26日