【桑川神社と葛西の歴史考察 】

令和3年5月
桑川神社第24代副総代長 清水満善

Γ葛西」の地名が最初に出てくるのが下総の国葛西御厨として葛西城(青戸付近)の城主で現在の葛飾区、江戸川区、墨田区などを伊勢神宮の荘園領地として納めた葛西清重が知られる。葛西氏は頼朝の奥州合戦(文治5年1189年VS奥州藤原家)に参加して武功上げたとあるので鎌倉時代であると思われる。
(戦国時代まで17代続いたが秀吉の小田原攻めに参陣しなかった事で咎められ大名として滅びる)但し葛西城は室町時代には関東官領扇谷上杉の最前線城として(VS古河公方)の記載がある。
※江戸城築城(長緑元年1457」)の太田道灌はこの扇谷上杉家の家宰。
葛西城(葛西家)と離れて現在の葛西地区の歴史で戦国時代は小田原北条家の支配下になる
元々は安房里見家の領地であったが北条VS里見の国府台合戦(第2合戦永禄6年1563年)以後北条家となる。

小田原北条家(別称後北条)の時に現在の葛西地区の基盤が築かれていきます。
宇田川喜兵衛が北条家家臣で弘治元年(1555年)に小松川村へ入り、以後慶弔元年(1596年)葛西浦葦原に三千石の地を開拓(宇田川喜兵衛の新田)宇喜田の地名の始まりとなり、その後宇喜田村(以後の宇喜田、小島地区)、東宇喜田村(中割、雷)、長嶋村、桑川村(新田地区は桑川村の人々が開拓して桑川新田)となる。
桑川に由来する名字(佐久間、笈川、宇田川、星谷等が多数存在する)が時代的には江戸時代からあった。

法連寺

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江戸時代(徳川家康の江戸入城天正18年1590年)に入り家康による江戸の街造りに伴い、葛西では新川の開拓が大きく地域を活性させる、新川が出来るまでは、古川(現在の古川親水公園)が江戸と下總を結ぶ水路として存在、行徳まで古川を船で行き、行徳からは木下街道で成田山新勝寺参りで賑わったと思われる。古川沿いには日蓮宗妙勝寺(弘安7年、1284年、江戸川2-28)など古刹が並ぶ。
新川は江東区に入ると小名木川、中央区で日本橋川、そして千代田区から神田川(お茶の水、高田馬場と上り)玉川上水へと至る、徳川幕府の生活水路工事により100万江戸市民を支えるインフラ水路となる。
玉川上水で生活水を入れ、日本橋川で魚河岸を入れ、小名木川、新川を経て江戸の汚物を下總の田園地区に運び(主に人糞で農耕地の肥やしに利用)、上りは下総等の農耕地から米、野菜、特産物等を運ぶ大きな役割として存在した。またその中で葛西の住民にだけ幕府から与えらえた特権として、江戸城内の汚物(含む大奥)の運搬を託された。水路とは言え江戸場内に入れるいわば指定の民とはかなり名誉であったと思われる。この新川の下りに汚物(通称ウンコ)舟、上りは砂(建設資材)を運んだ砂船は昭和40年代初頭まで存在し私も良く見かけた記憶があります。
※江戸市井を描いた時代小説にも(各作家、作品)葛西の事が出てくる場面が少なからずあります。

人が住み、生活基盤が出来ると神社、寺院が壮健される。
桑川神社近隣の主な神社寺院の歴史を見ると室町(含む戦国)時代から江戸時代初期に多くできている。
まずは近隣の神社を見てみよう。

1、長島香取神社(東葛西2-34-20 別当の自性院の火災で創建不明だが400年以上前)
2,下今井香取神社(東葛西1-45-29 創建不明だが安永年間1772年の供養塔あり)

長島香取神社

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下今井香取神社

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近隣寺院を古い順に見てみると
1,梵音寺(曹洞宗;東葛西2-28-16)開山承和14年(847年平安時代)
     但し、中興は寛永3年(1626年)
2,東善寺(真言宗豊山派;東葛西2-29-21 開山仁平2年(1152年平安時代)
     但し、中興は応永18年(1411年室町時代)
3,妙勝寺(日蓮宗;江戸川6-7-15 徳治2年(1307年鎌倉時代)
4,正円寺(真義真言宗;東葛西3-4-22 文明年間(1469~1486室町戦国時代)
5,自性院(真言宗豊山派;東葛西2-30-20 文亀元年(1501年室町戦国時代)
6,清光寺(浄土宗;東葛西3-3-16 文亀2年(1502年室町戦国時代)
7,真蔵院(真言宗豊山派;東葛西4-38-9) 天文年間(1532~1554室町戦国時代)
8,称専寺(浄土宗;東葛西1-38-23) 永禄5年(1562年室町戦国時代)
9,智光院(浄土宗;東葛西3-14-3) 天文元年(1573年室町戦国時代)
10,妙光寺(日蓮宗;江戸川6-16-5) 天正13年(1585年室町戦国時代)
11,法蓮寺(浄土宗:北葛西4-5-15) 寛永3年(1623年江戸時代)宇田川喜兵衛の墓
12、稲荷神社(北葛西4-24-16) 寛永20年(1643年江戸時代
13、天祖神社(東葛西7-17-24) 慶安2年(1649年江戸時代)
14、昇覚寺(真言宗豊山派;東葛西7-23-17) 天明年間(1781~1789江戸中期)

江戸時代初期までにほとんどの神社、寺院が出来ているのが分かり、葛西の地が成り立っていたと断定できる。
桑川神社は上記東善寺(中興応永2年1411年)の火災により資料が消滅されて詳しい時代が不明とされているが、東善寺、及び近隣寺院の歴史から見て江戸時代の初期(1600年代)には存在していたと考えられる。
※清光寺の寺案内に長島高城址との記載が有り、小田原北条氏が関東一円、及びこの地をおさめていた頃に館が有りと記されているが城主としてこの地をおさめていたのか、代官所のように北条家家臣が担当のような存在だったか、又は同時代の北条家家臣宇田川喜兵衛との関連はどうだったのかに関しては不明である。

東禅寺

清光寺

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明治に入り桑川は、東京府南葛飾郡葛西村字桑川村となり昭和7年(1932年)の江戸川区誕生まで続く、室町時代より江戸湾の豊富な魚貝類の漁師の地域として成り立ち、寛永年間(1624~1645年)に海苔養殖を得て葛西海苔(浅草海苔)として半農半漁の生計が昭和37年(1962年)の漁業権放棄迄続いていたと判断される。
毎年晩秋から始まる海苔漁は冬の間の葛西の風物詩で、早朝一斉に出ていく船、帰ってからの海苔すき、海苔干しと一家総出の作業大仕事であった。子供たちは(男の子)は南向きに並んだ海苔干場で凧あげするのが日課だった。
しかし交通アクセスは不便で昭和44年の東西線葛西駅開業まではまさしく陸の孤島、流入人口は少なく、古くからの住民だけの環境が続いていた様子で昭和5年(1930年)の葛西村人口は9,326人でしかなく、同じ葛西地区の平成20年の統計人口241,790人のわずか3,8%しかなかった事になる。確かに交通アクセスは悪く、まさしく陸の孤島であった。
最寄りの駅に行くにはバス又はトロリーバスで新小岩、亀戸、錦糸町へ出るしかなかった。
そして東西線葛西駅が昭和44年(1969年)に開業し葛西地域が一気に人口がふえ現在に至る。(西葛西駅は昭和54年1979年開業)

葛西、及び桑川の人口は著しく増えていますが、約400年の歴史有と推定される桑川神社は氏子さんの数がやや減少気味になりつつあります。高齢化や、道路拡張など要因はありますが、今一度皆さんとともに桑川神社を思い祭れたら幸いです。

【屋号について】

屋号を頻繁に使っていたのは、今から50年以上前ではなかったでしょうか。
江戸時代末期から明治、大正、昭和と受け継がれてきたものかもしれません。
昭和30年代に通用した桑川神社を取り巻く家々の屋号をおよそ100棟程記載しました。
大変申し訳ありませんが、当時の記憶を頼りにしたために間違いがあるかも知れません。

屋号は同じ苗字が多かったことで識別するためのもので先祖の名前からとったものあるいは職業がそのまま屋号になったものなどがあります。
桑川においては星谷、佐久間、笈川、宇田川、清水、鞠子などの苗字が圧倒的に多いことが分かります。
屋号を呼び合うことで「村」としての連帯感やアイデンティティーがあったかもしれません。

木熊家から新川に至る通称「こうち道」は道路計画が現在進行中で、多くの家屋が解体、移転を余儀なくされています。
これも時代の流れといえばやむを得ないのかもしれません。
いずれ忘れ去られるかもしれない「屋号」についてここに後世に残しておきたくあえて記載するものです。

第24代総代長    笈川晴美
第24代副総代長   清水満善
令和3年6月

桑川地区(昭和30年代)の屋号

NO屋号等苗字現況
1カンノンサマ宮本他所移転
2ブヘイ笈川笈川三男
3デド佐久間佐久間幸一
4トーエム佐久間佐久間喜久雄
5オモンヤ佐久間佐久間直子
6ワタヤ佐久間佐久間 稔
7笈川笈川笈川孝冶
8ミナト秋元他所移転
9タマチシンヤ星谷他所移転
10ハシイム笈川笈川博康
11ギョウジャ不明
12モンザ山岡他所移転
13キチベ星谷桑川町内移転
14ズーバタ山岡山岡陽宏
15八百謙榎本榎本光晃
16須賀須賀
17カジュー星谷クリーニング屋
18青木青木他所移転
19ハイム星谷星谷 勉
20キンベ渋谷渋谷 勤
21オケヤ星谷ペンキ屋
22シロベ笈川笈川紘一
23ジロイム笈川笈川治茂
24モンジュ星谷小林正一
25サクイム山田山田信芳
26星谷星谷町内移転 
27タマチ星谷星谷治司
28ノラマン星谷星谷良子
29アマザケヤ星谷芹川清子
30おせきや佐久間佐久間和久
31大塚大塚他所移転
32ミセ笈川笈川晴美
33ハチドン佐久間佐久間繁夫
34オク宇田川他所移転
35ソーゼム星谷星谷幸男
36フネ宇田川宇田川 武
37テンリョウ増田天理教 他所移転
38シャモヤ笈川笈川久美子
39サカナヤ笈川笈川静江
40宇田川宇田川宇田川文男
41タバコヤ宇田川他所移転
42トコヤ斎藤斎藤幸一
43アメヤ西仲西仲、福島
44ナカミチブンケ清水
45スナヤ吉野吉野 繁
46宇田川宇田川元衆議院議員
47トーフヤ鞠子他所移転
48イイダ飯田桑川町内移転 飯田 弘
49キグマ木熊他所移転
50シミズヤ小宮米の販売店
51シャカンヤ鞠子桑川町内移転  鞠子正一
52マリオ鞠子桑川町内移転
53イイダ飯田桑川町内移転 かなめ湯
54ロクベ笈川笈川正巳
NO屋号等苗字現況
55センベイヤ不明駄菓子屋
56カゴヤ福島福島 武
57シブヤ渋谷渋谷 武
58マリオ鞠子東京浄化槽
59自転車屋鞠子旧姓鞠子、現 武井
60シンゼム鞠子鞠子設備工業
61サゴイム清水現 環七西焼き鳥屋 シミズ
62トモイム鞠子桑川町内移転
63ハチイム西野現 五十嵐
64ヤスマル西野関連 酒井興業
65ニシノ西野桑川町内移転
66ヒカリ桑川町内移転
67ホソノ細野他所移転
68シミズ清水他所移転
69ゲイム清水桑川町内移転、清水繁雄
70カメッキ山岡他所移転
71ウエキヤ飯田他所移転
72サンナヤ鞠子他所移転
73ポンプヤ不明他所移転
74松の湯(銭湯)伊藤他所移転
75コイム西野西野工務店
76ヤオセ清水桑川町内94番地に移転
77ナカミチ清水桑川町内移転 清水達雄
78イマチョウ山澤山澤和夫
79ホソミ細見桑川町内移転
80シンベイ清水清水成男
81シンヤ清水清水満善
82フジガヤ藤ヶ谷藤ヶ谷明幸
83コバヤシ小林小林節子
84チョーシャ伊藤他所移転、駄菓子屋、牛乳屋
85ヤマオカ山岡山岡 清
86ヨサブロー森田伊藤芳郎
87エイム彦田他所移転
88アンマ飛田飛田匡寛
89肉や清水清水よし恵
90シンヤ清水清水指圧院
91ソバヤ彦田彦田忠一
92宇田川宇田川宇田川正志
93サクライ桜井他所移転
94カイ甲斐他所移転
95ヤオセ清水他所移転
96松谷松谷松谷洋子
97マツバ宇田川
98木村木村木村清次
99花屋鹿島田花兼
100ノザキ野崎
101ヒグチ樋口樋口 睦
102キソイム鹿島田鹿島田 タマ
103トクベイ鹿島田
104アガリット岩島
105森田森田森田兼松
106タキタ滝田他所移転
107ミノスケ星谷星谷精一
108シンカメヤ清水清水静江

江戸川区、道路計画のお知らせ看板
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木熊家跡から新川方面を見た「こうち道」2021.6.24撮影

昭和30年代の屋号
誤りなどございましたらお詫び申し上げます。

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