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桑川神社は昭和29年1月22日付けで東京都知事から宗教法人法の認証を受け、「神社本庁」の宗教団体に所属することが正式に認めら、40条からなる宗教法人「桑川神社」規則を定めた。(規則詳細は割愛)第1条で名称を宗教法人「桑川神社」とし、第3条で淤母陀琉神(おもだるのかみ)を祭神とすること、第7条で責任役員6名うち1名が代表役員(宮司)とすること、第16条で総代の任期が3年であることなどが定められた。

現宮司、総代紹介    総代任期:令和6年(2024)4月1日から令和9年(2027)3月31日まで

神社組織

※ 責任役員

宮司  ※加藤 明

1961年生
長島香取神社(常駐)との兼務、父の跡を継いで2016年5月より宮司。
趣味/ テニス、オートバイ

総代長  ※清水 茂樹

桑川神社の運営に尽力いたします。以上よろしくお願いします。

副総代長  ※佐久間 喜久雄

1954年4月生
桑川生まれの桑川育ちです。祖父も父も過去に総代を務めていました。
微力ですが神社に貢献できるよう頑張りたいと思います。

副総代長  ※清水 郁夫

1959年4月生
葛西小、中、安田学園、日本指圧専門学校卒
仕事/ 指圧師
趣味/ サーフィン、東北の秘湯温泉に行く事。
一言/ 少しでも地元に恩返しが出来れば。

総代

※渋谷 勤

1955年5月生まれ。2度目の西組担当の総代ですが、微力ながらお役に立てればと思います。

※佐藤 良一

1956年1月生まれ。1995年消防団に入団。町会2期(第29代・30代)。町会のホームページ立ち上げに加わり、町会記念誌「町会のあゆみ」の編纂に参画しました。今後ともよろしくお願いします。

※保戸田 竹彦

この度神社のお手伝いをさせていただくことになりました保戸田竹彦と申します。この桑川町に生まれ育ちましたが、まだ若輩者です。先輩方のご指導を賜りながら少しでもお役に立てればと思います。ちなみに長島町桑川町で91年の母親にも歴史等を聴いてみます。よろしくお願いします。

清水 健二

桑川育ちのてんりょうの清水です。地元を知る機会となり、微力ですが貢献できるよう頑張ります。

鞠子 浩

1967年生まれ。(有)鞠子設備工業勤務。趣味は旅行で夢は日本一周です。歴史ある桑川神社の運営に微力ですが尽くしてまいります。

森 俊之

森俊之(モリトシユキ)と申します。年齢は52歳です。今、長男が三年生で葛西小学校に通っております。地域の皆さんに少しでもお役に立てる様に頑張りたいと思います。引き続き宜しくお願い致します。

秋元 淑江

ゴルフ大好き人間。町会で3期、今後は神社にて頑張ります。

長谷川 栄美

生まれも育ちも桑川です。みなさまのお役に立てますよう、微力ながらお手伝いさせていただきます。

歴代総代名簿

年代就退任年月総代長氏名総代氏名
初代1952.4.1~1955.3.31笈川頼吉鹿島田酉蔵、佐久間才次郎、彦田半七、星谷惣吉
星谷権四郎、星谷福次郎、渋谷音次郎、清水頼吉
飯田要次郎、宇田川高太郎
51964.4.1~1967.3.31彦田半七清水善太郎、星谷惣吉、星谷権四郎、宇田川高太郎
星谷福次郎、清水福蔵、渋谷音次郎、清水頼吉
細見兼太郎、佐久間鉄五郎、佐久間金蔵、森田?蔵
今川泰輔
6~10不明不明
111982.4.1~1985.3.31清水洋平飯田與市、笈川鶴夫、関口孝二、星谷精一
佐久間高治、清水小太郎、高橋秀行、滝田文治
佐久間政五郎、山岡浅次郎、鞠子正治、宇田川忠蔵
鹿島田初太郎、細見一雄、小泉定冶、飯田正久
121985.4.1~1988.3.31清水洋平不明
131988.4.1~1991.3.31星谷光三渋谷高太郎、儘田秀治、星谷 渉、坂本忠司
星谷武三、笈川伊吉
141991.4.1~1994.3.31星谷光三渋谷高太郎、坂本忠司、榎本増男、赤平正男
笈川伊吉、星谷武三、渡辺豊丘、赤根 斌
渋谷 武、星谷三郎、樋口久芳、野崎善冶
星谷道夫、米倉 勇、米盛嗣男
151994.4.1~1997.31星谷和男伊藤 豊、星谷 実、鞠子交二、白井康雄
青木一三、赤坂 隆、宇田川実男、江森昭次
上村昭二、小林 勇、佐藤藤三郎、針谷恒次
星谷 進、宮入達雄
161997.4.1~2000.3.31星谷保司秋元福次郎、松原幸彦、吉野 繁、笈川治茂
甲斐 孝、宮沢次郎、山下鉄次、清水鐘策
藤ヶ谷常雄、星谷数男、宇田川信保、稲垣長七
森田和美、本谷 満、星谷幸雄、西野武二
172000.4.1~2003.31星谷保司秋元福次郎、松原幸彦、佐久間種造、笈川治茂
笈川英男、渡辺和男、清水成男、飯田和敏
山岡 清、阿部憲男、長谷川清久、笈川 実
山田健吉、小嶋正光、土屋武夫
182003.4.1~2006.3.31芹川 晃関口 清、佐久間幸一、笈川三男、佐久間博英
巻口 清、越坂剛樹、二宮幸芳、笈川政巳
須賀友義、飛田 清、大垣俊男、丸山 晃
関口和男、田中義雄、沓澤久作
192006.4.1~2009.3.31飯田 弘石崎正雄、渋谷常雄、高沢 昭、戸賀三廣
榎本充晃、小島 源、野崎 修、星谷 明
鞠子忠晴、井副起興郎、新城武志、関端忠男
出先信悟、平山孝行、星谷 晃、村田精宏
202009.4.1~2012.3.31佐久間安彦柳 静夫、笈川 茂、久坂信吾、保坂保夫
星谷秀昭、笈川輝男、加藤 登、小海老沢 昌利
鈴木 勇、西野景三、作田典久、星谷 昇
金川茂雄、小杉啓一
212012.4.1~2015.3.31彦田忠一臼井 誠、加納秀恭、佐久間直栄、吉野利信
江波戸 忍、渋谷 勤、硯 太志郎、菅沼良夫
湯浅一廣、石島孝夫、宇田川政和、鹿島田明夫
舩久保 優、飯田 修、笈川 保、本田信二
222015.4.1~2018.3.31木熊鉄雄清水繁雄、清水 忠、中城輝雄、小橋健一
池本正憲、金田一忠政、小林正一、岩上正人
清水達雄、藤田 修、廣嶋康司、関口秀男
星谷 正、岸元勝雄
232018.4.1~2021.3.31木熊鉄雄村井武蔵、清水繁雄、清水満喜、加藤晴隆
関口清辰、美馬政始、笈川晴美、鈴木憲裕
西村 治、鞠子正一、舩久保優、佐藤 隆
土屋 譲
242021.4.1~2024.3.31笈川晴美清水満喜、加藤晴隆、佐久間喜久雄、秋山豊
飯田 恒、清水郁夫、山田信芳

※江戸、明治、大正、昭和の戦前までの記録はないが、明治39年10月の日露戦争凱旋記念の木版、大正3年の奉納木版、昭和5年12月の表彰記念の木版等が本殿に掲げられている。組頭(部長)、小頭といった名称で呼称されていたようだ。

※初代を1952年(昭和27年)とした。記録によれば昭和27年10月1日に東京都へ宗教法人の規則認証を申請しており、2年後の昭和29年に認証された。その時の総代と想定される氏名が木版として本殿奥に掲げられている。
残念ながら2代から4代、6代から10代までの記録はない。

日露戦争凱旋記念」明治3910

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奉納 大正3

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表彰記念 昭和512

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元総代長紹介

令和3年6月26日

飯田 弘  昭和15年(1940)11月生

私は平成18年(2006)4月から3年間総代長を務めた。その任期中に神社奥殿の屋根の吹き替えや倉庫の建設などを行った。

歴代の総代長では笈川頼吉さん、宇田川高太郎さん、彦田半七さん、佐久間才次郎さん達が戦後から昭和の年代にかけて活躍されたと記憶している。
昭和61年頃に社務所の建替えがありその当時総代長の清水洋平さんが建設委員長に町会長の星谷保司さんが筆頭副委員長となり趣意書を作成し氏子各位に協賛を募つた。その趣意書には当時のメンバーの記載があるはずです。

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神社の修復記念名簿 平成4年
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歴代の総代長の中で星谷光三さんは大変尊敬できる立派な方だった。
平成4年(1992)に基礎を含めて本殿の建替え工事を行った。
計画にあたって金が集まらなかったらどうするのかという意見があった中で、「その場合は自分が責任を取る覚悟だ」との発言で一挙に前進した。
結果は皆さんの協力があって工事が完成した。非常に人徳のあった方だ。

平成25年(2013)彦田忠一さんが総代長の時に神社本殿の瑞垣の修復工事を行ったが、古い瑞垣には新川北側の一部が桑川町であったことの証拠のように江戸川5丁目の相羽姓や高橋姓が刻まれていた。
江戸川5丁目は、新川の向こう側にありかつては桑川町に含まれていた時代があった。
このことを決して忘れず私たちの心に留めておくべきと思う。

昔の話ですが、新川は佐原や野田から江戸へ人や物資を運ぶ重要な川であり「塩の道」とも呼ばれていたようです。この新川と「こうち道」との突き当り、トクベイさんの家の前は浦安から新川を通り小名木川の高橋(たかばし)に至る通船の乗り場があった。この通船は往復しており大変繁盛した。「こうち道」にはこの通船を利用するお客を相手に料理屋等があった。ソバヤさん(現彦田家)には広い土間がありお客さんがここを利用していた。イマチョウさん(現山澤家)は料理屋だった。
「こうち道」は自分の解釈では耕地に行く道ではなかっただろうか。桑川のメインストリートは桑川神社の前の道であり葛西小学校へ通学する道でもあった。耕地に出るのにこの道ができたのではないだろうか。
田園地帯の中はあぜ道があったり、リヤカーがやっと通れる道があったりした。
あとは水運。田園地帯の中には川が何本かあり、川を利用して「べか船」で稲刈りした米や物資を運んでいた。
昭和37年頃から始まった土地改良事業で桑川の田園風景は大きく変化した。
この「こうち道」も現在道路計画があり、移転してゆく家も多くなった。やがては大きな道路となり忘れられるのではないだろうか。
今回ホームページで桑川の歴史や屋号について掲載すると聞いて大いに期待している。