
【桑川神社の由来】
守神
淤母陀琉神(おもだるのかみ)「古事記」、 「日本書紀」では面足命(おもだるのみこと)と記載。
元々は第六天社で旧桑川村の鎮守であったが明治時代の神仏分離により第六神の淤母陀琉神を祭ることとなった。
「第六天社は関東地方(旧武蔵国)を中心としてその周辺に存在する神社。
元々は神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが、明治の神仏分離の際、多くの第六天神社がその社名から神世七代における第六代のオモダル・アヤカシコネ(面足命・惶根命)に祭神を変更した。」(ウィキペディア(Wikipedia)より)
創建
旧桑川村の鎮守で第六天社といった。
創建年月は不詳。別当は近くの東善寺であったが、文久年間(1861年~1864年)の火災で旧記を焼失した。(「江戸川区史」より)
境内
富士塚(江戸川区登録有形民俗文化財)、竜神社、庚申塔がある。
境内 富士塚
富士塚(江戸川区登録有形民俗文化財:昭和58年3月登録)
富士塚は、富士信仰の団体である富士講の人たちが、富士山の容姿をかたちどって築きあげた小高い塚です。富士山に登ったのと同じ霊験が得られるようにと願って築かれました。この桑川の富士塚は、昭和4年(1929)に、旧桑川村の山玉参拝講の人たちが築造しました。
高さ約二メートルの塚で、全体はボク石(溶岩)と丸石で覆われています。
丸石の中には、力石も含まれています。塚の中腹には、昭和41年(1966)の記念銘のある石祠がまつられ、登山道は丸石の階段になっています。
毎年7月1日の富士山の山開きには村内を富士講の人たちが白装束の登山姿で練り歩いた。
境内 庚申塔
庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。
庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。
庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。
庚申塔の石形や彫られる仏像、神像、文字などはさまざまであるが、申は干支で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多い。」(ウィキペディア(Wikipedia)より)
【年間行事】
初詣 1月1日
前日の12月31日深夜からカウントダウンをして新年1月1日0時からお囃子の開始と同時に参拝を始める。新しい年が良い年であるよう多数の参拝客が詰めかけます。
神社では参拝客にお酒、おしるこ、甘酒などの振舞いしております。
新年祭り 1月7日
毎年1月7日に新年祭として1年の弥栄を神様に祈祷しております。
夏季例祭 6月
初夏の行事として無病息災を祈願します。
秋季例祭 10月
秋の豊穣を祝い神様に感謝します。
3年に一度大祭を行っています。町内を神輿を担ぎ練り歩きます。
七五三 11月
お宮参り 随時
【利用料金】
【氏子数】
約250名
【所在地】
〒134-0084
東京都江戸川区東葛西1丁目23番19号
Tel 080-7668-4205